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Art of Coaching 「人間理解への道」 2022年7月1日(金)182号
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Art of Coachingの 三田村薫 です。
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先日、友人たちとランチをしたときのこと、帰国子女の友人がフォークを落とした瞬間に「oops!」と小声で呟いたのです。
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私は内心『カッコイイ~』と思っていたら、oops女子は「こういうときって英語が出るんだよ~」と不本意な様子。
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私:何で?ダメなの? 友:何か…カッコつけてるみたいでしょう? 私:いや、カッコイイよ 友:ワザとらしく聞こえないかな~と思って… 私:そんな風に思わないよ。咄嗟に出る言葉だから、カッコイイと思ったけど 友:そうかな~、咄嗟に出るのが英語ってイヤミじゃない? 私:イヤミ? 友:そう、日本で英語をネイティブに話すのって見せつけてるみたいでしょう? 私:…それって、自分がそう思ってるってこと? 友人たち:………。
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こんなやり取りでランチの場を凍らせるということがありました。(友人にメルマガ掲載の承諾いただいています。仲はいいのです)
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他の友人たちも私同様に「自分がそう思っているんだよね」と思っていたみたいなんだけど、他の友人たちは、思っていても言わない派。私は、思ったことは言う派。
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思ったことを口走ってしまうのか、大人の対応ができるのかの違いなんだけど、「言うvs言わない」問題のとき、私は大抵言ってしまいます。
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相手に思っていること、私に見えていることを言う方が親切だと思っているし、内心で思っていることを言わない方が卑怯な感じがするから。これが言ってしまう私の正義。
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一方で言わない人の正義は、言ってしまうと相手を傷つけるかも知れない、伝えるにしても言葉や伝え方を考慮して、相手が受け取りやすい言い方にした方がいいから。これが言わない人の正義。
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冷静に考えると当たり前だけど、どちらにも正義があります。
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ランチの場を凍らせてしまった私としては、あとあと「余計なことを言ってしまったな~」と反省したのだけれど、考えているうちに結果ではなく、選択できていたかどうかが大切なのでは?と思ったのです。
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「言うvs言わない」のどちらが正解ということではなくて、選択肢があることを認識できていたのかということの方が本質なのではないかと。
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一見、「言うvs言わない」は自分の選択のように思えるけど、本当に選択できているのでしょうか。
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実際に私が言ってしまうとき、条件反射的に言ってしまいます。反対も然り。
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無意識的な“反射”と意識的な“対応”は、ずいぶん違うはず。
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対応とは、その場の状況や相手に合わせて応じることだとすると、反射には、その場や相手を慮る思考がありません。
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・反射的に言ってしまう ・反射的に黙ってしまう ・反射的に苦手な人は避けてしまう ・反射的に(ネガorポジ)考えてしまう ・反射的に被害者or加害者になる…etc
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そう考えると、日常の殆どは反射で過ごしているようなもの。
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友人とのやり取りをふり返ると、「oops!」という反射に対して、私が反射して、また他の友人が反射して、私が反射する、この反射の連鎖のどこかのセクションを“対応”に変えると、オセロのように全てが変わるのかも。
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では、誰かが“対応”してくれたら変われると考えるのか、自分が“対応”しようと考えるのか、どちらが反射なのか?対応なのか?
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「生き方を変えるとは?」ということを改めて考えさせられた出来事でした。
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発行:株式会社アート・オブ・コーチング 執筆:Art of Coaching 三田村 薫
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