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Art of Coaching 「人間理解への道」 2022年11月18日(金)192号
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ネットだったか、新聞だったか、『偽悪』という聞きなれない言葉が気になりました。
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読んだ記事には、『偽悪』と『偽善』だと嘘でも人に好印象を与える『偽善』の方がいいという内容だったような…。
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その記事を読んで、「そうかな~」と『偽悪』も』偽善』も自分を偽っていることに変わりはないのではないかと。
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『偽善』とは、うわべだけ善い人ぶることだとすると、『偽悪』とは、うわべだけ悪い人ぶること。
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その後、自分が『偽悪』だったと気づくことになるのですが、気づいたときには、けっこうな衝撃で。それまで、偽善っぽい人の言動に「それって、偽善だよね」と言わなくていいことをワザワザ言い放つという反応をしては、反省するということが多々ありました。
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そんなとき、私は「別に嫌われてもいいし!」とツンケンしていましたし、「私は自分に正直なだけ!」という正義があったのです。あくまでも、今から振り返るとです。そのときは、もっともらしい正義の盾をブンブン振りまして、自分が『偽悪』だとは気づいていませんでした。
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それまでも、『偽善』に反応するということは、自分も同じだよねという頭の理解はありました。
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この「理解する」「わかる」という状態には、段階があります。
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(参照:NLPの基本がわかる本/著:山崎啓支P.47 学習の段階と効果的な学習方法)
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この5段階で考えてみると、『2.知識はあって頭ではわかっている』の次のレベルの理解を得るためには、『3.負荷はかかるけど、頑張ればできる』ことは、何だろう?と考えてみました。
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すると、「自分から挨拶する」という、大人だったら当たり前で常識的なこと。この当たり前で常識なこと、私はできていなかったのです。今まで、できていないことにも気づけていませんでした。
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極端に『偽善』を意識する(否定する)あまり、私にとって「自分から挨拶する」という行為は、『偽善』だったのです。そこから、同じマンションの隣人や毎日のように会うヨガ仲間に「自分から挨拶」してみたとき、初めて自分が「嫌われてもいいし!」と片意地をはって、いかに不自然に生きてきたのか理解できたのです。
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そして同時に、私は人一倍「人から嫌われたくないんだ」とも理解できました。ここまで読んでくださった方からすると、「気づいていなかったの?」ということだと思いますが、自分では気づいていませんでした。頭ではわかっていましたが、腑に落ちていなかったのです。
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人から嫌われることが怖すぎて、最初からツンケンするというリスクヘッジをしていたのです。何とも情けない『偽悪』ですが、「嫌われてもいいし!」が自分のデフォルトだと思い込んで疑いませんでした。
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自分が握りしめている正義を疑ってみると、いつもと違う自分と出会えるかも知れません。
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あなたの『負荷はかかるけど、頑張ればできる』ことは、どんなことですか?
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発行:株式会社アート・オブ・コーチング 執筆:Art of Coaching 三田村 薫
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