人間はどんなときに高い能力(最高の力)を発揮できるのか?
そもそも、コーチングはこの問いを探求することから始まりました。コーチングの源流は、ビジネスやスポーツ、セラピーなど様々なジャンルから来ています。
Art of Coachingでお伝えしているコーチングの原点は、テニスのコーチとして革新的な指導方法を編み出した、ティモシー・ガルウェイのテニスの指導にさかのぼります。
その指導方法を克明に書き記したガルウェイの著書『インナーゲーム』を読むと、頭の中(内面・インナー)で起こっていることが、そのまま能力発揮に直結していることがわかります。スポーツの選手に限らず、どの人の能力発揮も頭の中にその鍵があります。
ガルウェイがテニスのコーチを始めた頃、スポーツコーチの指導スタイルは、「模範的な型を知っているコーチ」が、それを選手に教え込むというものでした。当時のスポーツコーチは「こうしろ」「こうするな」と命令形で指導するのが主流だったのです。ガルウェイ自身も当初はこのような「教え込む」指導をしていました。
しかし、その「教え込む」指導を続けていると、逆に不調に陥ってしまう選手が出てきたのです。そこで、ガルウェイは不調に陥った選手の内面(インナー)で何が起こっているかをつぶさに観察しました。
その結果わかったことは、教え込めば教え込むほど、選手の頭の中に「こうしろ」「こうするな」「こんなフォームではない」「どうしても上手く振れない」などの言葉が充満してしまっていたということでした。この命令や評価を与えようとする内的会話で頭の中が一杯になってしまうとき、本来持っている能力が発揮されず、パフォーマンスが低くなることがわかったのです。
一方で、ガルウェイはスポーツの一流選手が「最高の力」を発揮しているとき、「自分をコントロールしようとしなかった」「自己評価をしなかった」ことが多いことに気づきました。「こうしろ」「こうしてはいけない」などという命令する内的会話もなく、「今のは良かった」などと評価する内的会話もないときに、ただひたすらプレーに集中している状態があったのです。

選手は自分自身をコントロールしないときに最高の状態が生まれる。
ガルウェイは、これらの一連の体験を通して得た発見を、1974年に著書『インナーゲーム』で体系化し、発表しました。
二人の自分~セルフ1・セルフ2
ガルウェイは、選手の頭の中が内的会話で一杯になっているときにパフォーマンスが低くなることに気づきましたが、このとき、話しかける自分と話しかけられる自分との二人の自分がいることを発見しました。
そして、話しかける自分、つまり、命令したり評価したりする声の主を「セルフ1」と名づけ、話しかけられる自分、つまり、「セルフ1」の命令に従ってボールを打つ存在を「セルフ2」と名づけたのです。
この「セルフ1」の声は、恐れや自己不信に根ざしており、「セルフ1」の口数が少なくなればなるほど、実際のショットは良くなること。また、「セルフ2」を信頼するようになればなるほど、「セルフ1」の口数が自然と減っていくことも分かりました。

「教える」から「問いかける」へ
では、このガルウェイの発見した新しい指導方法の特徴は何でしょうか?ガルウェイもテニスのコーチになりたての頃は、従来の方法で指導していました。つまり、コーチが練習プランの作成から、どのようにスイングするかまで手取り足取り生徒に教えていたのです。
しかし、コーチが主導で教え込めば教え込むほど生徒の頭の中でセルフ1の声が大きくなり、パフォーマンスが低下することは前述の通りです。
それに対して、生徒がセルフ1の声に気を取られることなく、ありのままにボールを見ることができているとき、適切な動きを自然に行っていたのでした。そこでガルウェイは、どうしたらセルフ1の声が小さくなるかを考えた結果、「教える」ことから「問いかける」ことへと指導方法を変えました。
例えば、これまでだと「ボールをしっかりよく見て打って」と教えていたのを、「飛んでくるボールの縫い目は縦回転でしたか、それとも、横回転でしたか?」「ラケットにボールが当たる直前、ボールはどんな動きでしたか? 上昇中? 下降中? それともトップ?」と問いかけるようになったのです。
その結果、生徒はボールにただ集中することができ、持っている力が存分に発揮されるようになりました。
この状態は、スポーツの世界ではゾーンやフロー状態と言われます。この状態にあるときは、高いエネルギーに満ちていて、何をどのようにすればいいのか直感的に瞬時に判断でき、最高の成果を生み出すことができます。
コーチングの特徴は「質問」にあるとよく言われますが、質問の目的はクライアントの意識を「セルフ1」の声から解放し、「セルフ2」の潜在能力を最大限に発揮できる状態を作り出すことにあります。このようにして、クライアントが最高の力を発揮できる環境を提供するのがコーチングであり、コーチの本来の役割なのです。
新インナーゲーム
W.T.ガルウェイ (著), 後藤新弥 (翻訳)